にかいと絵(冬眠)

大学受験で失敗し、一年の浪人生活を送ることになりました。

翌年、無事に大学に入学できた時、不得意分野を無くさねば!と張り切って、音楽サークルと運動部に入ってしまいました。新しい環境で、力みすぎて、浮かれていたのです。結局、どちらも途中で辞めました。


理想像を追うために自分を否定しすぎて、心を殺してしまい、体もそれに合わせるように食欲が無くなり、生きるのが怖くなり、死にたくなりました。「死にたい」以外の感情が凍りついて、笑うとか喜ぶとか反応できなくなり、曖昧に表情筋だけ動かして取り繕っていました。

自殺をしてはいけないという理性は少し残っていたので、自分を殺す儀式をしようと思いつきました。自分の分身である絵、それを火葬するのです。まだダイオキシンが問題になる前だったので、自宅の前の土手で一枚一枚、火にくべていきました。

母に「いつか後悔するんじゃない?」と声をかけられたのですが、返事もせず、いつか「後悔」という感情が戻るといいけどね・・・と心の中でつぶやきました。


そんなことをしている内に、絵が描けなくなっていることに気づきました。物理的に描けないわけじゃないのですが、生き生きとしていないし、魅力がない。

短い人生、苦手を克服している余裕はない。得意分野を磨くべし、です!

そこで美術系サークルに入りたいと思うようになりましたが、勇気が出ませんでした。新入生歓迎会の手伝いをしていた時、そのサークルに入っている人に「来ればいいじゃん。なんなら、今から行こうよ。」と誘ってもらい、ようやく美術の世界に所属することができました。


美術系サークルでは、大学祭で絵や陶芸などを展示します。

以前のように描きたいものが浮かばないので、視点を変えて、大学祭に来る人が喜んでくれそうなものを考えることにしました。来場者は受験生、近所の人、学生の家族や友人かな。それなら、近所の人、特に子どもが喜んでくれそうなものを作ろう。

そして、市立図書館でウクライナ・ピサンキ・エッグの本を見つけました。ろうけつ染めはできないので、油性のアクリラガッシュで模写をしました。これが子どもにも大人にも好評で、くすぐったいような、久々にほっとしたような気持ちを味わいました。


サークルでクリスマスに向けて、大きな油絵を描くことになり、私はマリア様のスカートを担当しました。この時に、模写がすごく勉強になることを知りました。



メンタルを病まなければ、後にオリジナルを描くことになるエッグアートに出会うことも無かったし、模写でテクニックを勉強することも無かったでしょう。

社会人になって、見せる当てのない絵(家に遊びに来てくれる人には見てもらいましたが)を、うまく描けた手ごたえもないのに描き続けました。初めの数年は元に戻れることを期待していましたが、そのうち諦めるようになりました。それでも、絵しか無かった。

にかい堂 アート  セラピー

お絵かきのお手伝いやアートセラピーについてのブログです。

0コメント

  • 1000 / 1000